〜みなみ編㉝〜 大学生が行ってみた、インドのコルカタ!

2018/02/27 学生に聞いてみた

こんにちは、大学生のみなみです。同じ年に入学した友達たちは卒業を目前にして卒業旅行、真っ只中です私も来年の今頃には就職先も決まって、卒業論文も提出し終えて、どこかにポーンと卒業旅行に行きたいものです。

今回からインドの都市を紹介シリーズ始めたいと思います。行ったことのある都市の思い出や写真を地球の歩き方情報も加えながらご紹介したいと思いまーす!

第一弾は、バックパッカーならだれでも知ってる!?混沌の大都市「コルカタ」!

星のついているところがコルカタ、バングラデシュのほんのすぐ西ですね

 

 

【コルカタってどんなところ??】

私が訪れたのは2016年の8月でした。西インドのベンガル州の州都コルカタ!昔の本とかガイドブックには「コルカタ」ではなく「カルカッタ」と書かれていますが、カルカッタは英国の植民地時代に付けられた英語名で、現在は現地語名のコルカタが正式名称です。南インドの「チェンナイ」を昔は「マドラス」と呼んでいたように、植民地時代につけられた名前を、植民地以前に使っていた本来の名前に回帰しようという運動のもと回目されました。州の名前もほんの数年前までは「ベンガル州」ではなく「西ベンガル州」と呼ばれていました。というのは、西ベンガルという呼び方も、植民地時代、インドの隣国バングラデシュも大英帝国の一部で東ベンガル、西ベンガルと分けられていた名残で西ベンガルと呼んでいましたが、分離独立した今は西も東も無いやん?ベンガルは一つ!みたいな感じでベンガル州に改名したそうです。
元は一つだった、二つだった、一緒だった、という議論は時代のどこに焦点を当てるかで、どの名前が正解か否かは変わってくるとは思いますが、英国の介入によってナショナリズムや文化が乱され確立されていった、という気はしますね。
前置きだけでこんなに長くなってしまいましたが、コルカタってどんなところ?
植民地時代、1911年に現在の首都でもあるデリーに遷都されるまでは、実はコルカタが植民地インドの首都でした。雰囲気的にも人口が多くて過密していることはもちろん、ヴィクトリア記念堂などイギリス文化を思わせる建築も多々あります。個人的には乗る機会はありませんでしたが路面電車が走っている景色が好きです。

昔のインド旅行記的な本にはよくコルカタの駅に寝ている人の数がやばかった的な話がありますが、コルカタという都市が特別!ってことはないと思いますが、確かに分離独立時のベンガル地方が分割されたり、パキスタンからバングラデシュが独立した時の戦争で大量の難民がコルカタに流入し、人口が急増化した背景もそういったカオスなコルカタを見せる要因になったかもしれませんね。駅で人が寝ているのは当時のインド全域で大都市の駅なら共通事項なのかなあと…

 

インドらしい道ばた

メヘンディ(ヘナタトゥー)描いてもらいました

 

【わたしが見てきたコルカタは…】

私のコルカタ訪問は日印学生会議という、日本とインドの学生がどちらかの国でグループワークしたり観光したりホームステイする活動で訪れました。なので20人弱くらいのコルカタの学生と議論したり社会見学したり家に泊めてもらったり…貸し切りバスで色々連れて行ってもらったので、一人旅をする時よりは楽で難なく回れました。

ヒンドゥー教徒にとって聖地であるガンジス河、有名な沐浴場はコルカタとデリーの間くらいの距離にあるヴァラナシですが、コルカタに下流があってガンジス河を一目見れました!しかし、言われなきゃ分からないようなただの川…?でも「沐浴禁止!」と書かれた看板が立てられていたので、やはりここで沐浴しようとするヒンドゥー教徒もいるんだろうなと思いをはせながら。よく見渡すと、ペットボトルに聖なるガンジス河の水をくむ人や、オレンジ色の布を身にまとった観光客御一行みたいなバスがたくさんとまっていたり。下流でもさすが聖なる河ですね。

総じてコルカタは、地下鉄も走っていて都会は都会なのですが、植民地時代を思わせる建築物と共に、宗教やナショナリズムといったインドを思わせてくれる都市でした。

 

バングラデシュで有名なジュート(麻)素材の雑貨、コルカタでもありました

インド人学生とディスカッション中

 

 

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